ジルさんと乃木坂46のふわふわな日々

日々の乃木坂活動のメモ書き。乃木坂46を追想します。推し箱はアンダー。推しメンの名前を私はまだ知らない…。

乃木坂のこれから3

何かを思い出した私がとる行動は、そのことの清算である。それは、坂を上っていくためのストーリーではない。私が思うがままに振る舞うための世間への問いかけなのだと考えたい。

乃木坂46のこれからを考えてみることは、一般社会の未来を語ることとも似ている。そのことは、乃木坂46が世間に広く浸透しているということもあるが、乃木坂46というものが、実験的で先鋭的な活動をしているからであるようにも思う。ここで語られる未来とは、彼女たちが織りなす観念が、世間とどう混ざり合っていくのかということが第一にある。彼女たちの何が世間一般とつながっていくのか、ちょうど20枚目のシングルが「シンクロニシティ」であるということもあり、少し考えてみたい。

例えば、偶然目にしたテレビコマーシャルのキャッチフレーズが個人の人生に大きな影響を与えるようなことがあるとしよう。それと同じように偶然であれ必然的であれ、表現的な活動を目にした一般大衆への音楽が持つ効能と言うのは、その多くが言葉で語ることはできないまでも、それは無意識のうちに、個人へと入り込み、そして少なからずのなんらかの影響性を及ぼしてはいるはずだが、そのことは具体的には定かではない。

ここで少し視点を変えてみる。私が常日頃考えていたのは女子高校生、いわゆるJKと、アイドルの差である。JKを自然的な産物とみなすならば、アイドルは人工的な商業品であるだろうが、その実の中身は根本的には大差がない。10代の女子というものは、私から見ればすべからく同じような意識性をもった集合のようなものにしかとらえることはできない。それは、おそらくは若い女の子だけがキャッチできる感覚性、そしてそのことを彼女たちだけのものとするようなネットワークが現代には構築されているからであるように思う。

そのように考えた時に、女性アイドルは女性からも憧れの情念を得ているわけだが、それでいて、どれだけ音楽家として世間の若い彼女たちに影響力を及ぼせているのだろうかとの疑問が残る。私はある日カラオケに行ってみると、女の子の前で披露できるような乃木坂46の曲があまりにも少ないように思えることに驚愕した。アーティスト志向であることで、確かに表現としての楽曲のクオリティは向上したように思うが、他方で、馴染みやすい誰もが口遊むような楽曲の提供という面では後退してしまったような印象も受ける。こういう部分で大衆向け商品としてよく考えられているグループも別にはあるが、本当に影響力ある音楽とは一つには表現性が優れていること、そしてもう一つには人々の記憶の原風景にアクセスするようなものであることだと考える。後者については、記憶の原風景という観念が理解しえないとなかなか意味は掴めないように思うが、人々が考え、向かっていく共通の意識のようなものを考えたら理解がしやすいだろう。

してみると、乃木坂46が目指すべきは、大衆との調和にあるのではなく、大衆に対する先導、それでいてどこか懐かしさをも感じるような原点性への回帰にあるように思う。

 

ジルさん「なんだかいろいろと考えてみたんだけど、女子高生、いわゆるJKの特質は私は演技的であること、そして、世間の流行への協和にある気がするんだ」

ジルさん「それって天然で自然的なアイドルであるようにも思う。だからJKというのはアイドル的だという観念が広く成り立っているようには見える。それは女子大生でも、オフィスレディたるOLさんでも、そんなに変わらないところはあるけど」

 

おらちゃん「おらは難しいことは分からん」

おらちゃん「でも、流行り廃りを追っていくよりかは、何を流行らせたいかを仕組んでいくよりかは、この広い世界の原点を探っていくことが人々の生きる意味って感じはしてきたよ」

おらちゃん「だから、おらはおらであり続けたいんだ」

 

4月からが本当の自分が始まる、毎年それは思うことでもある ジルさんより

(p{font-size:20px;})