ジルさんと乃木坂46のふわふわな日々

日々の乃木坂活動のメモ書き。乃木坂46を追想します。推し箱はアンダー。推しメンの名前を私はまだ知らない…。

乃木坂のこれから2

われらは協約の公平なる法を明言し

ウェルギリウスアエネーイス』第一一編第三二一行―

 

乃木坂のこれから、についてまた少し語ってみようかと思うわけですが、現在の乃木坂46がおかれている状況は、わたしが、わたしたちファンが、予測していなかったような部分から連なるもので、ずっと前に忘れてしまっていたであろうところの、もっと大きな部分の一つの作品ともいえるような状態にある。そのことの記録、いや記憶は、ほとんどの部分がなくなってしまっているはずである。

そこで、すでに乃木坂のこれからについてかなりの程度は把握できる部分から、いくらかの断片的な未来を抜き出すとすれば、つぎの20枚目シングルの選抜発表がもっとも重要なものであり、価値のもっとも少ないものではないように、わたしにでさえも思われる。

―引用:ルソー『社会契約論』はしがき

 

そんなわけで、試練の20枚目シングルについて見ていきます。このごろ、乃木坂工事中の3月11日の放送で20枚目の選抜発表が行われることになりました。私が乃木坂46をあるがままの人間としてのアイドルとして見ていくような意図があることは以前からのブログ記事で述べていたところですが、彼女たち個人が何を思うかも重要であっても、それ以上に乃木坂ちゃん全体のなかでの関係としての、共通の思いのようなものがどのように醸成されているのかということに着目していきたいです。 

今の乃木坂46の状況を考えてみると、最大の問題は功労者である生駒ちゃんの扱いをどうするかということに尽きるのでしょう。私が思う生駒ちゃんのイメージは、「指望遠鏡」のMVのシーンにもあるように、どこかその思いが儚げないような場合に、一人どこへ行こうか迷っていると、生駒ちゃんが突然やってきて「君がくれたCD、返すね」と言って、貸した覚えも借りた覚えもないような、それはそれは特別なCDを私にくれるような、そんなイメージがあるわけです。このことは、つまり、生駒ちゃんとは乃木坂46の生きる道字引だったのではないかということだと思うわけですが、20枚目のシングルのタイトル「シンクロニシティ」というワードが持つイメージと、生駒ちゃんのこれまで、そしてこれからを、どうやらリンクさせていきたいようなところはある気がします。

5作連続でセンターを続けて、それが全盛期となった生駒ちゃん。3月4日放送の乃木坂工事中では「君の名は希望」が私の頂点であると言っていました。そのことから考えても、乃木坂46の一つの道しるべとして、世間に問うていくのは、内部の大御所とも言うべき功労者が、その集まりを去っていくときに、世間とどう混ざり合っていくのかということかということでしょう。乃木坂46というものは、ある種世間からは別の次元の部分にあるような、異質な集まりではあるかと思いますが、そうした中にいて、いざ社会一般へと回帰していくべきときに、乃木坂46の何が社会と組み合っていたのか、そして何をこれから生かしていけるのか、それはこれから見えてくるのかと思います。

ただ、一つ言えることがあるとしたら、やはり乃木坂46と世間の一般大衆というものは混ざり合わないのだと思います。乃木坂46の強みは、独立している個人からなる絆にあるのだとしたら、還るべき場所ではないにしても、乃木坂46という存在に、メンバーであれ、スタッフであれ、ファンであれ、強く関われたことは社会から見て、あるいは、われわれが見る社会へ還元的であるように感じるのです。

 

【MV】混ざり合うもの Short ver. <乃木坂AKB> / AKB48[公式] - YouTube

最後に、坂道AKB「混ざり合うもの」のある歌詞を紹介して終わりにしたいと思います。

 

どんなにキレイな色と色も、一緒に混ざってしまえば汚くなる

かたくなに僕は背を向けて友達はいらないとバリアを張っていた

 

 

おらちゃん「はあ~これじゃ乃木坂46がまるで圧倒的高みにいるような宣言にも見えるぞ、ジルさん!まだ乃木坂はそんな宣言ができるほど…」

 

ジルさん「先手必勝だよ…そんな傲慢な意図はないんだけれども、これからの日本の音楽シーンを代表していくものの一つが乃木坂46であるとしたら、その楽曲をリアルタイムで楽しめる私のようなファンの人生って素晴らしいものだとは思わないかね」

 

おらちゃん「はははははははははっ、見ろジルさん、まるでAKBが…」

 

ジルさん「バルス!」

 

たった一つの混ざり合うもの それは…次のアンダーライブが待ち遠しいジルさんより

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