ジルさんと乃木坂46のふわふわな日々

日々の乃木坂活動のメモ書き。乃木坂46を追想します。推し箱はアンダー。推しメンの名前を私はまだ知らない…。

約束の花束をひめたんに届けよう

今回は、元乃木坂46のメンバーである、中元日芽香さんのとあるアンダーセンター曲について見てみたいと思います。また、本来ならば、中元さんは乃木坂46の7枚目アンダー曲「初恋の人を今でも」のセンターであるべきではなかったかということに関しても触れたいと思います。

 

乃木坂46 『君は僕と会わない方がよかったのかな』予告編 - YouTube

さて、中元さんの代表的なセンター曲はいくつかありますが、私はこれを「君は僕と会わない方がよかったのかな」であるとします。この楽曲は題名の通り、ある女の子の過去の恋愛を振り返るような曲となっているわけですが、中元さんが卒業したいま、改めて中元さんが作品に込めたような思い(厳密には制作者が中元さんに託した思いということになるのでしょうか)を考えてみることは、これからの、そして、これまでの乃木坂46を考えていくうえで一つの基準点となるように思います。それは誰よりもアイドルであろうとした中元さんが、そして中元さん目線で過去を振り返ることは、乃木坂46全体のアイドル性について考えるうえでの一つの目安であるように見えるからです。アイドルとはアイドルを卒業してもアイドルたりえるのか、アイドルを卒業した後に振り返るアイドル時代とはどのようなものか、そうしたテーマがここには隠れているような気さえします。

では実際に、「君僕」の歌詞を見ていきたいと思います。印象的なのは二つ。僕(僕たち)の心情が描かれているところと、その僕の回想です。

 

僕たちはどこかで求め合ったのに、気づかぬふりをしてやり過ごした

それがやさしさだと勝手に思い込んで、少しずつ距離ができてた

(中略)

僕よりもっと大人の誰かと恋をしていたら今頃

あのカフェの恋人たち楽しそうで一人きりがやるせない

 

見たまんまなわけですが、すれちがいが切ない印象ですよね。このテーマを中元さんが表現する意味はあるようでないような気もするんですが、それでも、彼女が卒業した時点から見て振り返ってみることにします。まず、わたし個人が、というより、おおよその乃木坂ファンが感じる中元さんの活動とはなんであろうか。中元さんと言えば、長らくアンダーから選抜に上がれず、一時は不貞腐れたようでその諦めない振る舞いがファンの心を動かしていました。そんな当時の熱意、情動、努力していたであろう何かも、やがて選抜に定着するようになると失われていったかに見えます。そこでもう一度「君僕」の歌詞を見てましょう。中元さん目線で考えるとして、あの苦しかったアンダーの日々に戻りたいですか?悲劇が起こるときのその登場人物とは最後にはとても成功するか(想定とは違う方向で)、あるいはすでに成功している人が崩れ落ちていくパターンが通常だと思います。それはそれが劇であるからとしか言いようがないのですが、長らく苦しいアンダー生活を、乃木坂46の悲劇として捉えるならば、その先に待っていた未来とは明るいものであって欲しいわけです。

 

ところが!

 

中元さんの卒業は体調不良から半ば夢を投げたしたようなものしか見えません。本人には何か考えるところはあるのかもしれませんが、やはりどこか煮え切らない形での卒業であったように思います。こうした状況で、中元さん目線でアイドル時代の活動を振り返ってもそこには、後悔の念しか残らないように見えます。アイドルとは悲劇的であるのだから、そこに後悔はつきものかもしれません、誰だってあの時にこうしていれば、もっと頑張っていれば、違う未来はあると言えるのですが、過去は変えられない。過去というものは厳密的に変えられないんです。

だから、私たちは未来へと生きているわけですし、そんな人々の思いとは関係なしに未来へと進んでいる面もあるのですが、変えられない過去を思い浮かべて日々を過ごすよりは、変わりゆく未来を感じ入りながら日々を楽しんだ方が健全でしょう。しかし、変わらないものが過去、変わりゆくものが未来だとしたら、神様というものが存在するとして、実に残酷だとは思わないだろうか。(※ここでは過去ー現在ー未来を1秒レベルの単位ではなくて、1年間くらいのスパンでとらえています)

だって、そうなると殆どの物事というのはそうするしかないことだらけになります。時間の流れを大きくとらえれば、自分がやるべきことというのは非常によく見えてきます。我々は流されているようでも、何かに流されていたとしても、そのようにしているんではなくて、考えに考えた結果であっても、特に考えていなくても、そうするしかない、そんな状況に神様の気分?のようなものによって追いやられていると言えるわけです。それは、自分の人生における自分の立ち位置を考えるうえで、どの部分が過去で、どの部分の視点から、変わりゆく未来へと向かっているのか、過去と考えられるような時点からはおおよそ想定が困難であることから生じる現況になるでしょう。

そこで、見方を変えてみると、変わりゆく未来を考え、変わらない過去を後悔するのが現代における人間の通常の姿であるならば、過去は厳密に変えられないとして、よき思い出としての過去を振り返りながら、変わらない未来=成功が約束されたような自分の未来を突き進めばいいわけです。しかし人間には未来は見えない。見えない未来が見えるようになるにはどうしたら良いか、なんてことには答えはでないわけですが、良き思い出のようなものを基盤として、悲劇のストーリーを進行しているかのような者の人生を考えてみれば良いのかもしれません。ここで冒頭に紹介したように「初恋の人を今でも」のセンターが中元さんであると想定してみましょう。そうすることで、成功が確約された未来へ進んでいくこととはどのようなものなのか、多少なりとも見えてくるのかもしれません…。

 

乃木坂46 『初恋の人を今でも』Short Ver. - YouTube

 

あれから3年…過ぎたけれども、夢は叶いましたか?誰かにそう問うてみたいものの、そこには誰もいなかった…。

 

おらちゃん「なーにジルさんは人生語っちゃってんだ」

おらちゃん「おらが聞きたかった話はこんなんじゃない、ジルさんが思う恋愛論、コミュニケーション論みたいなのが聞きたかったんだ」

おらちゃん「人生なんてなるようにしかならない。なにか分類して考えてみても、人生は初めからあるようにしかないんだ。だって自分は自分で生まれてきたわけじゃないんだ。だれかから呼ばれたかのように生まれてきたんだ。だからこれは人生という名の存在にとっての人生を読み解きながら生きているようなものなんだ」

おらちゃん「自分の人生はみんなの人生だし、みんなの人生が自分の人生なんだ。世界は一つ、世界は一つに向かっていくんだよ」

 

ジルさん「おらちゃん、この世界は夢なんだって言いたいような気もするけどね、この世界はいつだって明日終わってしまうかもしれないような、いま当たり前のことが次も、明日も、来年も、未来までずっと続くなんて限らないんだ」

ジルさん「だから、いつ終わりが来てもいいように、そのために準備だけしておこうとは思わんのかね?一体、世界はどこへ行こうかなんてどうでも良くて、この世界は、この世界に住む人々はいつか死ぬんだ。だから終わりが来るんだ」

 

おらちゃん「おらも分かったよ。ようやくわかったよ。やっぱりサヨナラの意味なんだね…いつまでも一緒にいたいけど、終わりはやってくるんだね…」

 

おらちゃん「サヨナラ、サヨナラ、ありがとう、ありがとうジルさん、おらは…おらは…」

 

そう言いながらおらちゃんは冷蔵庫へと向かっていった。おそらく私が隠しておいて秘密のプリンを食べてしまうのだろう。でもそれは予測されたことなのだ。だってジルさんはいつもおらちゃんの豚の貯金箱から500円ずつを抜き取ってプリンを買ってきているのだから…。

 

4月からは小説を書きたいジルさんより

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