ジルさんと乃木坂46のふわふわな日々

日々の乃木坂活動のメモ書き。乃木坂46を追想します。推し箱はアンダー。推しメンの名前を私はまだ知らない…。

ジルさんと乃木坂46な日々 vol6

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今回は乃木坂46の19枚目シングル「いつかできるから今日できる」のMVの感想を記したいと思います。

 

さて、その前にいつものようにおらちゃんを呼びたいと思います。

 

おらちゃーん…

 

おらちゃん「うるさいなぁ、ジルさん。おら平日だけど休日だから寝てたんだよ?」

 

乃木坂46のMVが公開されたけど見た?

 

おらちゃん「わんわんわんわんわん」

 

あれ、おらちゃん急ににどうしたの?

 

おらちゃん「だっていつか出来るから~ってタイトルだから犬になってみたんだ。分かる?」

 

できる=キャン(can)だけにきゃんきゃん吠えてみたってわけか。

 

おらちゃん「それだけじゃないけどね。canには推定の意味もあるから可能性をも示している。つまり、わんわんプレイは奥深いんだぜ。まあ、いいか。ジルさんもMVを何度も見返せばわかるよ。おらはMVを10回以上見ていて気がついたことが大きく3つあるんだ」

 

おっ、気合入ってるね。その前にジルさんの意見を言わせて貰おうかな。今回のMVについてだけど、テーマは「違う自分になること」だと思うんだ。ちょうどあさひなぐって映画が公開されるけど、少し予告を見た感じでは普通の女の子の冒険譚と成長譚だった。

今回のMVもそれにかかっていて映画の主役の西野七瀬や、舞台版の主役の斎藤飛鳥の心の成長を描いたものであるように見える。いつものように日常が始まる中でほんのささいなきっかけが女の子を変えていくわけだね。

 

おらちゃん「ジルさん、ちがーう。歌詞には違う自分になろうとしてたこと、とあるから明らかに違う自分になれた女の子のストーリーではないんだよ。違う自分になろうとしていたこと、その過去への思いが描かれているんだ。解釈にもよるけど、どちらかと言えば後悔や自責の念のが強い曲調であることは、イントロやAメロから感じる悲壮感なり切なさをくみ取れば分かるはずだ」

 

確かに。違う自分に変わろうとしていた、というある時点における過去形の表現だから、要するに過去への振り返りだとしたら、変化していく女の子の成長や青春を描いたものとは180度も様相が違ってくるね。さすがおらちゃん、今日はなんだか鋭いね。

 

おらちゃん「過去との決別。それが第一の発見だとすると、さらに言えばあと二つ大事なメッセージが隠れてるんだけど分かるかな?」

 

うーん、分からん(゜-゜)

 

おらちゃん「へへへん。じゃあ説明するね。第二のメッセージは、また歌詞から引用して考えると、まさに、いま、すぐ踏み出せるようなことでも、ここにあるのは紛れもなく現実であって現在(いま)なんだってこと。われわれ現代人は、時間など何かに常に追われている生き急いだ人生を送っていることが多いけど、そうした拙速への警鐘でもあると思うんだ。」

 

なるほどねえ。歌詞に密かな決心はどこへ捨てた?、ともあるけど過去の自分との決別なんてものは全部ウソだし、なぜ、いまなんだ?ってことも密かなポイントになってるような気がするね。歌詞の流れでは「今できる」あるいは「今できよう」とはうたっているけども、そんなことを今更考えているようでは遅い面もあるよね。

例えば、できている人、富める人からみれば、特定のタイミングでできると思う必要性も必然性もあまり感じられない。常にできているから、できている日常が普遍化してるわけでその行為なり規範を意志する価値がないとさえ言明可能だ。

だとすると、要するにこの曲調にこの歌詞、そして青春的なエネルギーを感じる映像からすれば、やはり失敗した人や落伍した人へのメッセージともとれるし、そういうものへのアンチテーゼ的な自負でもあるとも取れるね。

 

おらちゃん「ジルさんも少しは目が覚めてきたようだね。簡単に言えば、きっかけというものは厳密性を持っているというのがおらの持論だから、きっかけは決心の理屈であり理論なんだ。シンクロニシティという言葉はジルさんの好きな言葉だけど共時的な偶然性って意味だっけ?」

 

意味のある偶然性ってことだね。この世界はデイビット・ヒュームが到達したように、因果関係には論理的必然性がないというのが形式上の真理だけれども、仮にここでは現象による現象の為の、カオスな偶然性が存在するとすれば、それは価値創造的であるから、表現する意志の介在が認められ、検証不可能であろうがなかろうが、必然的な結果は固定的だとすると、結果にのみならず、その因果関係、つまりは決心のきっかけも理屈であると言えるんだ。

 

おらちゃん「おらそんなところは難しくてわかんね。でも秋元康先生が書いたきっかけってのは大ウソである面もあるんだなって今にしてみれば思い浮かぶんだけど、感情的な話は信頼性が一番だから難しいんだ。」

 

おらちゃん「それでね、ジルさん。第三のテーマなんだけど、あれ?おーい、ジルさーん、ジルさーん」

 

ジルさんはもうここにはいなかった。

 

たぶん何らかの決心をしたんだろう。それこそ今度こそは理屈じゃなくて…。

 

昼下がりの団地妻のコスプレをしてみたい犬のおらちゃんを探しながら

 

おらちゃん「わんわんわんわんわん、わんわんわんわん…」

ジルさん「わんわんわんわんわん…」

 

二人は二重詠唱した。要するにじゃれているだけろうが。

おらはペット。おらちゃんはペット。今でもジルさんはそうつぶやいている…

 

 

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画像はツインテール星野みなみと物憂げな秋元真夏

 

参考 カール・グスタフユングによるシンクロニシティ概念より

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