ジルさんと乃木坂46のふわふわな日々

日々の乃木坂活動のメモ書き。乃木坂46を追想します。推し箱はアンダー。推しメンの名前を私はまだ知らない…。

羨望のエクリチュール 乃木坂46アンダーライブ九州シリーズ 鹿児島公演の感想

 こんばんわ。今回は2017アンダーライブ鹿児島公演の感想を書きたいと思います。タイトルのエクリチュールとは、ここでは表現の形式だとか表現の技法みたいな感じの意味です。

 

さて、「自由の彼方」から始まり「希望の光」で終わる今回のアンダーライブですが、一言で述べれば、疾走感よりも痛烈さよりも爽快感がありましたね。何かが始まりそうな、そんなプロローグ的な公演でした。座長の樋口さんも、この公演はプロローグ的であることを発言していましたね。

 そんな伝説的…ではないにしろ、まさしく最後には希望が見えてくるような九州シリーズ。全7公演の中での6公演目たる鹿児島公演を急ぎ足で振り返ります。

 

まず初めに私が思ったのは、乃木坂ちゃんって小さい。ちっさ、うわ…ちいせえ。ちっちゃ。まじでちいせえ。ちっちぇえええええええ。うひょおおおお。うひょおおおおおお。ことこおおおおお。

はい、最後は叫んでしまったわけですが、本当に乃木坂ちゃんは思ったよりも想像以上に小さかったです。存在がとか、振る舞いがとかではなく、ただ単に縮尺が小さい。小さくて可愛い。

 

ところで、本題に戻りますが、オープニングではなにやらオリジナル要素があったようで、暗黙の中でしっとりとした様相のダンスが始まります。そして次に乃木坂ちゃんが全員で現れて「自由の彼方」を披露するわけです。

そんな最初のシーンを私は見ていました。確かに私は観客として見ていました。観客というのは元来は舞台の演出装置の一つであった向きもあるのかもしれませんが、現代では受容者としてのいわば置物にすぎませんよね。観客という固定された枠組み、鳥かごのようなイメージの空間で、鳥たちが羽ばたいていくのを見つめます。

するといつのまにかあることに気がつきます。もしかして我々ファンが飛び立つことを期待されていて、彼女自身らがそれを見守り支える鳥かご側になっているのだと。それは意図したものでもあるのだと思いますが、彼女らの立ち位置、すなわちアンダーであるという状況が、より彼女たちに対する見方を固定的な枠組みへと追いやるように見えました。

そこで私たち観客は思い思いの気持ちを叫びます。高らかに、明らかに、すこぶる様態で、気高く、物々しく、仰々しいまでの眼差しで。私たちは彼女たちを見ているにすぎない鳥かごのような空間の一部であるはずでしたが、全体が全体として、澄み渡る空のように一体的な熱量を形成していました。

 

ああ、これがライブ、特にアンダーライブなんだなぁ。

 

そう思った瞬間でもありました。

私たちは、鳥たちのように飛び立っていった。どこへ行ったかって?それは遠い遠い世界へと没入、いや逃げたことだって言うかもしれません。だって現実的には現実を見ずに仮想空間にも似た熱気と一体感を楽しんでいるのですから。それにしても、乃木坂アンダーが、ライブで歌って踊って羽ばたいて飛び立つことが逃げることになるのか?それがこの曲で語られる「自由の彼方」であるのだろうか?

仮にそうだとしたら、そういう解釈を与える不届きものに言いたい。

 

君の劣等感を拒絶する。自由なるものは我々だ。私が、ここにいる自由だ。

 

そして高らかに宣言しておこう。歌詞から引用して宣言しよう。

 

いくら彼女らが、私たちがここで、この時、この場で言葉(思い)を投げかけても、空の鳥には聞こえないね。

アンダーライブ。いつか見た景色も、ここから見える景色も、多くのファンや多くの関係者に支えられて、ささやかな夢と今を感じている。

 

ここで言う空の鳥とは、自由の彼方にあるものの象徴なのか。はたまた、それは地に足のついた私たちから見える、去っていくべきもののイメージなのか。答えは皆さんの想像に任せますが、さてさて、ようやく始まったかに見えたアンダーライブ、殺伐とした雰囲気で続くのかと思いきや楽しい一面もあったので、簡単に紹介しますね。

 

MCパート

三期生の大園桃子ちゃんにボイスメッセージを送ったという二期生の伊藤純奈ちゃん、帰ってきた返信が、「いま乃木坂工事中の収録中だよー」とのこと。一期の斉藤優里ちゃんはそんな三期生ばかりにかまけてる純奈ちゃんに嫉妬。

⇒アンダーはライブで、三期生のエースはテレビ収録ですが微笑ましい話です。

 

一期生の齊藤ちはるちゃんが、鹿児島弁で挨拶しようとするも度忘れ。思い出そうにも思い出せないちはるちゃん…。

⇒か、かわいかー

 

二期生の伊藤かりんちゃんが、同じく二期生の北野日奈子ちゃんを諦めない的な熱いエール、もしかしてここで日奈子ちゃんは卒業発表なのかと会場はどよめき焦り立つもその後しばらくして日奈子ちゃんは復活。

⇒おれの、おれのおれのひなこー

 

今回はお休み気味の一期生アンダー筆頭格のひめたん

⇒ひめたーん、ぶーーーーむ!!ひめたんは永遠やでええええ

 

一期のマスコット的存在である和田まあやちゃんとまあやのお母さんの話。まあや母「むすめをこんなに早く手放すつもりはなかった」それを受けてまあやは皆さんにありがとう。ありがとう的なありがとうを。

⇒超絶可愛いまあやー!!

 

北野日奈子の復活と独白。日奈子曰く世界にやさしさを、人にやさしさを、モノにもやさしさを、上を見ても下を見てもやさしさにもやさしさを、やさしさを横から見るか?下から見るか?やさしさは世界を…、とにかくやさしさ、やさしさがアンダーを生んだが、アンダーはやさしすぎるが、やはりこの世界はやさしさで出来ているとかなんとか…。

⇒やさしい気持ちっていいよね。北野さんが喋っているときに誰一人として何も言わなかったのも良い。

 

まあやが指摘する、一期生で座長のひなちまはプレッシャーを感じている的な話。ひな「そんなこといわないのー」

⇒ひなだって、言いたいこと沢山あるよね…。

 

いかがですか?こうしたMCパートも生ライブの醍醐味であり楽しみですよね。合間合間にあるメンバーのわいわいしたトークには非常に癒されました。

 

それでは、次にこのライブの全体的な演出面について見てみます。

今回の鹿児島アンダラでは、舞台の横にぽつんと左右に2つの光のガーベラが置かれていました。そしてリアルなメンバーのストーリーとは別種の、舞台ならではの独白、そして表現の数々、いわば劇中劇が我々の前へと現れます。それは今の、というよりもこれまでのアンダーを象徴するかのような、なんとも切ない演出で、まるでマッチ売りの少女であるかのように物悲しく作られていました。

私が思ったのは、リアルなメンバーたちの思いからなるストーリーと、こうしてガーベラシーンの劇のように作られた形での舞台演出としてのストーリーが交錯していたことで、リアルと仮想の境が曖昧になっているということです。

この曖昧さというのは良い意味で私たちを一種の異世界と言うか別の空間へと導いてくれます。そこにいるはずの、マッチ売りの少女のような存在にすぎなかったアンダーメンバーが、くるみ割り人形のように立ち尽くしている私たちファンとの思いの交錯を経て、手が届きそうな身近な女の子たちから、我々の手の届かないどこかへと昇華されたように感じました。

メンバーの中にはアンダーという立ち位置であることに対して熱く語ってくれたり、休んでしまったことからへの復活について思いのたけを披露してくれたり、そうしたリアルな部分がアンダーライブの最大の魅力ではありますが、演出家によってつくられたであろうアンダーの演出劇を見ていると、正直なところこちらのほうが良い。

リアルな思いも大事だが、私たちファンはアイドルの人生をも応援している向きはあるが、やはりプロの興行であるから、劇中の劇に、演出の中に、自分の思いなりストーリーを重ね合わせるなり、リンクさせたほうが、より見栄えが良いですし、ステージとしての緊張感、協奏感、つまりシンフォリックな一体感も出るのではないかと思いました。

いずれにしても、メンバーたちのステージにかける熱意、力動が十分に見られたわけでとても満足のいく内容ではありました。

 

最後に、このライブのキーである「僕たちの光」の一節を見ながら終わりたいと思います。

 

太陽眺める度羨ましくなるんだ

どんな時もまぶしく輝き続けること

僕には背丈ほどの影しか作れなくて

 

このあとは世界には何たらと続くのですが、私たちが、また彼女たちが、アンダラで手に入れたもの、手に入れたかった何かはこの歌詞にヒントがある気がします。

 私たちは彼女たちを確かに見ていた。そう、ずっと見ていたんです…。

 

おらちゃん「おらは知ってるよ」

おらちゃん「ジルさんは途中なんでここにいるんだろうって表情をしていたこと」

おらちゃん「でもメンバーがたまたま手を振ってくれて」

ジルさん「ああ、トロッコに載っていたメンバーと目が合った気もしたよ」

 

その時笑っていたんだ、彼女は私のほうをみて微笑んでいたんだ…。

 

おらちゃん「それではお聞きください」

 

ひと夏の長さより・・・

 

10月の桜島・・・海辺から眺めながらジルさんは家路についた。

乃木坂46のアンダーライブ九州シリーズを見る前の覚書

―私が全力になれるのは乃木坂46しかありません

 

もう、引き返せない物語が始まる。

 

西暦2017年、まだAKB48連邦が、

乃木坂アンダーに対して併合を宣言してはいない時代…。

 

おはようございます。こんにちわ。こんばんわ。

今日は乃木坂46アンダーライブ九州シリーズの鹿児島公演です。

ここではアンダーライブを見る前に最低限知っておくべきであろう前提のようなものをつらつらと書き綴りたいと思います。

 

―こんなはずじゃなかった

 

やりなおしたい人生は、ここに置いていった。

夢のつづきをおいかけていたはずなのに、

無くしてきた悲しみさを探している。

誰を待っているの?私はどこへいくの?

帰る場所もないから強くなりたい。

 

参考 乃木坂46『自由の彼方』、YUI『again』

 

上の文は、今回のアンダーライブのオープニング曲が自由の彼方であると聞いて思い浮かべたイメージ文ですが、現在の乃木坂のアンダーをよく表しているような気がします。

 

さて、今回のアンダーライブから初参戦となるジルさんには今までの歴史、経緯などはあまりよく分かりません。しかしながら、一つだけ思うことがあるとしたら、アンダーは何かを伝えたい。まずはみんなに自分を知ってほしい、そんな一途な思いでアイドルを続けているのだと考えます。そうした思いというのは、乃木坂の楽曲にもよく表れていると思うので、いくつかの曲の歌詞を引用してまたイメージ文を作ってみます。

 

いくつもの本当の自分になりたい。

 

マイペースに前に進んでいくときに、

私は、私が伝えたい気持ちを守りたい。

 

みんなと一緒にいたい。

今の私が決めた。思いはそばにある。

 

みんなから、私が見えなくても

私は、私たちは、ステージにいる。

いつの日か、心うばわれる。

 

ただ一緒にいるだけで

ずっと続くと思っていた。

 

参考 乃木坂46『誰かは味方』『My rule』『アンダー』

 

ここまで書いていて思ったのですが、どうやら乃木坂ちゃんの思いというものは、恋がしたいという一点に尽きるのではないかと思うわけです。そこにあるのは甘い思い出でも、未来への希望でもなく、在りし日の、追憶の日々を照らす今なのだと考えます。

どうやら乃木坂ちゃんは恋がしたい。恋をしたい。今を進みたい。そのことの是非は私には興味がありませんが(だって健全な女の子だろうし…)最後に、18枚目選抜表題曲の逃げ水の歌詞からアレンジした、アンダーと我々ファンを取り巻く?イメージ文を掲載して終わりたいと思います。私たちに明日はあるのか、自由を…自由の彼方を…。

 

僕たちは恋をした。

遠い日の記憶は、どれくらい続くのだろう。

毎朝起きると、君のおはようが聞こえてくる。

やりたいことは、いつもたくさんあるのに夢中になった時には、

僕たちは大人になって遠い日々の夢は消えてしまった。

 

自分の声が、他人のそれに聞こえるよ。

もう振り返らない。僕たちは決めた。

 

参考 乃木坂46『逃げ水』

 

おらちゃん『ぷるぷるぷる、はい、こちらはジルさんのペットのおらです』

おらちゃん『ジルさんはただいま留守にしております』

おらちゃん『御用の方はピーっという発信音の後にご用件をお話しください』

 

ピッ―…

 

初めての鹿児島アンダーライブが楽しみすぎてホテルで3時に起きたジルさんより

乃木坂46の20枚目シングルの選抜フォーメーションを予測してみる

 

こんにちわ。選抜発表は突然に。唐突ですが乃木坂46の20枚目シングルの選抜フォーメーションを予測してみます。

その前にまずは表題曲のタイトルを考えてみることにしましょう。曲のイメージから選抜が決まることがあるかもしれませんし、ちょっとプロデューサーになったかのような気分にもなれます。

乃木坂のシングルは前のシングルとの連関、関連はあまり感じさせません。ですから単発で自由に作品を作っているのだと思われます。

さて、それでは表題曲の案を3つほど挙げてみますね。

 

インディペンデンス・デイ

 

ええ、これは独立記念日という意味ですが、ついに例のあのこと、初期の思いの数々から独立したんだという意味が込められています。

 

パーティで遊ばれて

 

まだまだテンションあげていきまっっしょーという曲です。それでいながら少しもの寂しさも感じるタイトル案になっています。

 

記憶のスタンダードから 

 

乃木坂のこれまでを完結した記憶として、まあ、これからの活動に組み込んでいくんだという、そんな感じの思いを込めています。

 

さてさて、とりあえずはタイトル案は決まりました。

20枚という区切りなので、過去の活動と未来の活動をつなぐような、いまここにいることの意味を感じる曲になれば良いのではないかと思って考えてみましたがどうでしょうか。

それではいきなりですが20枚目の選抜メンバー発表しちゃいますよ?

当てにいっちゃいますよ?!?!

鳴いても叫んでも行きますよ!!!!

 

それではどーぞ。どーん!!

 

四列目 衛藤 生駒 桜井 松村 真夏 若月 高山

三列目   星野 堀未 生田 井上 飛鳥

二列目    与田 久保 山下 大園

一列目     白石 空白 西野

 

ええ、なんか色々と突っ込みどころがありますね。

まずは基本的なところから説明していきましょう。今回は乃木坂史上初の四列目制を導入します。また、フォーメーションは7-5-4-3で19名。

そしてなんとセンターは空白さん!!です。いやいやいや、これには考えがありまして、今回のセンターは残りの全員の皆さんなんです。空白のセンターの座を賭けて残りのアンダーや三期生の皆さんがバラエティのお約束に従いながら色々とデュエルをして頂きます。

この配置は、四列目制を採用したことでよりメンバーが縦に並ぶことになり、立体的になるということ、そして横のつながりを重視することでメンバーの絆が高まることを意図しました。

さらには誰でもセンターで良いじゃんという何となくファンのそこにある思い、ランダム、偶然が魅せる面白さを考慮して空白さん!がセンターとさせていただいています。空白さんが誰になるかによって乃木坂がどう変化していくのかが楽しみですね。

 

さて、いかがでしたでしょうか?マンネリ化した乃木坂に新たな風は吹きましたか?

実現するかどうかは不明ですが、乃木坂46とは、今やAKB48を越えてアイドル戦国時代の頂点を極めて覇権アイドルです。乃木坂46の一挙手一投足にみな注目ですね。

それでは今後の乃木坂46の発展を願いながら今日のところは終わりにします。

 

おらちゃん「おらもセンターやりたい!おらも!!

?????「ジル先生、欅坂は空白に入りますか?」

 

寝言は…と言いかけながら読書にふけるジルさんより

乃木坂46、伊藤万理華卒業に関して

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万理華ちゃんはどこをみる?

 

2017年10月3日、乃木坂46の中核的アートメンバーで今野派の急先鋒たる伊藤万理華さんが卒業を発表しました。卒業理由は本当の部分はよく分かりませんが、表向きは初の個展を開催したことでアート気分がさらに覚醒した、とのことでした。私が初めて万理華ちゃんを認識したのは、円周率が3.14…と続いていくように、遡ろうとしてもいつ、どこで、万理華ちゃんは万理華へと変わったのか、そもそも万理華ちゃんとは写像ではないのだろうかという次元で、普遍的に私の乃木坂イメージに深く脳裏に刻み込まれているので、具体性ある形での認知はそもそもにおいて行われていなかったとの一定の結論めいた状態に辿りつきます。ここまでを読むと万理華ちゃんとは脳内にしか存在しないのでは、と読者のかたに想像されてしまう向きもあるかとは思われますが、確かに万理華ちゃんは存在しております。

 

私はここにいる。ここにいる

 

思えば19枚目のシングルでは万理華ちゃんの盟友である中元さんも卒業を発表する中で後を追う格好となりました。残る仲良しグループのメンバーは井上小百合さんとなるわけですが、ここで少し不穏な噂について語ります。万理華さんと小百合さん、中元さんはとても仲が良く、心の内側まで何でも話せる仲で、とある界隈ではそういう関係が転じてかは不明だが、心の発散として3人と他の仲の良いメンバーでホストクラブに通ってしまい、狂うように遊んでいたとの情報がありました。なかでも井上小百合さんなどは文春に写真を撮られたそうですが、直前になって今野さんより立場が上のソニーの運営の方が写真の買取を決めたとの情報もあります。これらはあくまで憶測ですが、心の闇が、乃木坂が本来から標榜する希望ということへのアンチテーゼが、そして一人の女の子としての衝動が当然であるように語られる状況性から、こうした観測を呼んだのでしょう。

 

未来への希望…

 

ところで、みなさんは最高ですか?乃木坂を応援していて最高ですか?私は最高です。アイドル界の頂点にたった乃木坂のこれからを考えると、いつもの焦燥感と自責の念は消えてなくなるような気さえします。なぜ、私は、私たちは、いま、ここにいるのか。ここにいる理由を回想的に考えてみると、私が乃木坂に興味を持った理由は、特にないんです。始めからあるようにあったし、終わる時はグループが終わる時だと思っています。そのことはまさにいまですか?いま、このグループは終わりを迎えていますか?シングル売上は100万枚を達成して東京ドーム公演が決まった。次々とドラマ、映画、CM、イベントなどの仕事が舞い込んでくる。そんな乃木坂が、アイドル界の覇者たる乃木坂が終わることがあるのだろうかという強い疑問はあります。そうしたなかでの万理華ちゃんの卒業は衝撃的ではあれこそ、破壊的な現況には至っていない。

 

乃木坂とは集合的無意識の束である

 

乃木坂46とはすでに公共的アイドルと言っていいほど社会の奥深くまで浸透しているということが私の裏の認識であったわけですが、そうしたことから考えても今回の卒業は何らかの社会的メッセージがあるかと思うわけです。単に、ポジションが上がらないから、仕事が来ないから、ほかの夢を追いたいから、そんなちゃっちい理由でやめるほど乃木坂メンバーは思いがないわけがありません。10月3日に発表したことの意味は不明でも、19枚目、盟友たる中元卒業発表後、乃木坂ミリオン達成で絶頂期での発表は、万理華ちゃんが死を賭してでも成し遂げたい何かがあるんだとしか私は受け取れません。そして。それはけっしてアートのためなんかではない。伊藤万理華とはアイドルである。アイドルとは偶像である。偶像とはすなわち神だ、女神だ、この世界の運命だ。彼女ら乃木坂メンバーが思い描く未来は、ここからどう修正されるのか、希望、あるいは絶望…私はまだその君の名前を知らないし、誰もそれは予測できない。

 

人はなぜ走るのか?

www.youtube.com

 

答えは僕らの手の中にある。万理華を愛している。ずっと愛してる…。

 

 

昼寝してたら卒業発表の現場に立ち遅れたジルさんより

 

ジルさんと乃木坂46な日々 vol8

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今回は2017年10月1日の乃木坂工事中(125回)の感想を書きたいと思います。

公式サイトによる予告はこちら。

 

★10月1日(日) 深夜0:30~放送予定

次回の乃木坂工事中は…
映画「あさひなぐ」の見所&裏側を大公開!
さらに19枚目シングルヒット祈願!
映画でもお馴染みのあの場所へ!
果たして、その衝撃の内容とは!?

http://tv-aichi.co.jp/nogi-kou/

   

ところで、みなさんは映画「あさひなぐ」ですが何回見ましたか?ジルさんはまだ1回しか見れていません。3回は見たところで感想を書きたいと思いますのでお楽しみに。

 

さあ、元気出していきっまっっしょぉぉぉぉぉ

 

どーん!

 

どーん!!!

 

ヒット祈願と言えば、かつてはスカイダイビングや、マカオのタワーからのバンジージャンプなどが記憶に新しいですが、何と19枚目のヒット祈願は、映画「あさひなぐ」の舞台でも登場したような石畳の階段を登ると言うものです。

 

どうですか?厳しいでしょう…。え?厳しくない?いや桶を二つ水を入れてのぼるんですよ?3人で2リットルのバケツ19杯分も運んで重いんですよ?しかも階段の段差は299段もあります。

 

おらちゃん「わー大変だーオラニハムリダー」

 

おらちゃん、これはね、可愛い女の子たちがきゃいきゃい言いながらのぼるから絵になるんだよ。おらちゃんなんかが頑張って例えば富士山にうさぎ飛びでのぼったとしても面白くもなんともないんだ。

 

おらちゃん「ジルさん、富士山は10枚目のヒット祈願でのぼったよ。それにおらはアイドルじゃない。ジルさんのペットの犬じゃないか。わんわんわん」

 

今さらながらこの犬、喋るのか…。

 

そんなわけで、厳しい厳しい19枚目のヒット祈願が終わりました。これで映画「あさひなぐ」と共に乃木坂46がさらにヒットするとわれわれファンも、メンバーも嬉しいですよね。

 

おらちゃん「そんなわけでジルさんにはヒット祈願のあり方について200字くらいでまとめてもらいます」

 

そうですねえ。ヒット祈願と言えば過酷、とにかく過酷でありさえすれば良いという界隈の空気感が醸成されていますが、元来は、神への祈りが肝要です。神聖なる気持ちをもってヒットの神様に祈りをささげることで、身も心も引き締まり、活動にも精が入ります。ですからとにかく、神妙な気分で真面目に祈りをささげるのが本来のあり方なんです。

 

おらちゃん「それは根性論ではないのか?」

 

まあ聞いてくれ。つまり今後はな、こうしたらいいんだ。

ヒットを祈願してまずは服を脱ぎます。

 

おらちゃん「ほうほう、それで」

 

それから靴下も脱ぎ捨てます。

 

おらちゃん「ふむふむ」

 

それからそれから、脱ぎ捨てた靴下を拾ってもらうためにお母さんに電話します。

 

おらちゃん「しもしも!けつかっちんだから!ジルさん、早く結論御願いね」

 

分かった。最後に服をたたみます。

 

おらちゃん「なんじゃそりゃ!おら寝る!」

 

こうしておらちゃんはどこかへと旅立っていった。また明日にでもなれば私のベットの上で眠っているのだろう。

 

10月に入って新しく勉強を始めようと思ったジルさんより

ジルさんと乃木坂46な日々 vol7

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今回は、乃木坂46の東京ドーム公演の1次抽選結果について記します。その他、AKB48のじゃんけん大会についてなど雑感もあります。

 

いきなりですが11月8日の最終日、当たりました。

ええ、はい、初めてのライブ参戦が東京ドームになります。

 

具体的にはvol1にも書きましたが、モバイルの1口のみで1人での当選です。

今回はサイズブックとマネーパートナーズ経由の申し込みもあり、2DAYSですので最大で6口応募できたようですが、ネットで当選報告を見た限りは多く申し込んでも落ちたという人もかなりいたようです。

 

ちなみにコンビニ払いにしたので支払期限は9月27日の23:59までですが、確認をしてからすぐにコンビニへ行ったのでぬかりはありません。忘れると自動的にキャンセルになってしまうので注意したいところです。発券は10月28日からということですので楽しみに待ちます。

 

さて、当選してお金も払ったので後は、神戸から東京への移動計画を立てたり当日の行動マップを簡単に作成してみたいところですが、こちらは後々考えます。

乃木坂46にとって東京ドームで公演できることは当然なようでもようやく実現した誇らしい出来事です。そんな東京2017に参加できることはとても幸運で至福です。

 

ところで、キャパ5万5000人×2DAYSでチケット難民が出てしまう問題についてですが、私はライブビューイングなりネット中継の導入を強く求めます。

一部の論者の間ではライブは現場に行かなければ意味がないだとか、一体感や同一感を得るためには現場一本に拘るべきだとか、そういった言わば根性論的な言明がはびこっているようですが、私は実際性を現実的に考えて、需要がある人に全てに参加してもらうために平等に誰でもお金を払えばライブを見られるような技術的仕組みを考えるべきだと思うわけです。

要するに、飢餓感を煽るだとか、プレミア感を出すとかそういう言い訳に頼るべきではない。なぜ、いますぐやれることをいま、やらないのかという思いはあります。

 

乃木坂46とは今や個人の思いを越えた国民的なみんなのアイドルなわけですね。

 

さて、そんなことを考えながら本日はAKB48グループのじゃんけん大会を見て考えたことを記したいと思います。

このじゃんけん大会は毎年のように開催しているようで、今回は予選を勝ち抜いた48組が優勝特典のCDデビューをかけてじゃんけんでトーナメント戦を戦います。AからDブロックまであり、ブロックを勝ち抜くとMVが作られるとのことでした。

結果は私としてはよく知らない若手の子たちが優勝したわけですが、全体的な印象としては清楚系の天使みたいなイメージの衣装の子たちがよく勝っていたように見えました。印象に残ったのはLILというチームですが、彼女たちの笑わないで淡々と勝ちこんでいきたいというクールさにしびれました。登場チームについてもう少し語りたいこともあるのですが、全体的に知識不足ゆえにここでは割愛します。

 

そこで、せっかくですからジャンケン自体について少し書いておきます。

私が思うにジャンケンとはテンションのぶつかり合いだと思うのです。テンションの読み合いというメンタル面の側面もありますが、基本的にはテンションを相手にぶつける、気合というオーラを放出するゲームであるのだと思います。

技術的なことを述べれば、まずジャンケンは勝ちか負けか引き分けかしかありません。そして驚くべきことに3分の2の確率で敗北は避けられます。つまり66%以上は負けないのです。負けると言うことは相当に運が悪い状況だとも言えるのですね。もちろん相手も同じ状態ですから期待値に差はないのですが、心理的にはこのことを知るだけで少し楽になるような気がします。

ジャンケンの基本的な戦略として、出す手を宣言する、あるいはあらかじめ想定するということが考えれますが、私はAKB48のジャンケンを見ていてこれは危険な賭けであるなと思いました。そこでダブルチョイス法というジャンケン戦略を思い浮かべたので紹介します。

ダブルチョイス法はその名の通りで選択肢を2通りに絞ってしまう方法です。要するにグーかパーを出すと決めてチョキは出さないといったように、選択肢をダブルにチョイスします。仮にこのことを相手に宣言したとすると、相手がそれを信じる場合は、グーかパーを想定するわけですからそれに負けない手を出せば良いのでパーを出すことになります。信じない場合は、チョキが出てくると想定されるわけですからグーを出せばいいことになります。ここで2つのケースを合わせて負けないような手を出すとすると、パーしかないことになります。

 

ですのでダブルチョイス法での必勝法はもう分かりましたね?

 

そうです、答えは僕らの手の中…

 

おらちゃん「ジルさんはくるくるパーだ、パーだ!!」

おらちゃん「おらはグーかチョキかパーを出すぜ。グーチョキパー、グーチョキパー。グー…」

 

 

欅坂46の5thシングル選抜発表を楽しみに待つジルさんより

ジルさんと乃木坂46な日々 vol6

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www.youtube.com

今回は乃木坂46の19枚目シングル「いつかできるから今日できる」のMVの感想を記したいと思います。

 

さて、その前にいつものようにおらちゃんを呼びたいと思います。

 

おらちゃーん…

 

おらちゃん「うるさいなぁ、ジルさん。おら平日だけど休日だから寝てたんだよ?」

 

乃木坂46のMVが公開されたけど見た?

 

おらちゃん「わんわんわんわんわん」

 

あれ、おらちゃん急ににどうしたの?

 

おらちゃん「だっていつか出来るから~ってタイトルだから犬になってみたんだ。分かる?」

 

できる=キャン(can)だけにきゃんきゃん吠えてみたってわけか。

 

おらちゃん「それだけじゃないけどね。canには推定の意味もあるから可能性をも示している。つまり、わんわんプレイは奥深いんだぜ。まあ、いいか。ジルさんもMVを何度も見返せばわかるよ。おらはMVを10回以上見ていて気がついたことが大きく3つあるんだ」

 

おっ、気合入ってるね。その前にジルさんの意見を言わせて貰おうかな。今回のMVについてだけど、テーマは「違う自分になること」だと思うんだ。ちょうどあさひなぐって映画が公開されるけど、少し予告を見た感じでは普通の女の子の冒険譚と成長譚だった。

今回のMVもそれにかかっていて映画の主役の西野七瀬や、舞台版の主役の斎藤飛鳥の心の成長を描いたものであるように見える。いつものように日常が始まる中でほんのささいなきっかけが女の子を変えていくわけだね。

 

おらちゃん「ジルさん、ちがーう。歌詞には違う自分になろうとしてたこと、とあるから明らかに違う自分になれた女の子のストーリーではないんだよ。違う自分になろうとしていたこと、その過去への思いが描かれているんだ。解釈にもよるけど、どちらかと言えば後悔や自責の念のが強い曲調であることは、イントロやAメロから感じる悲壮感なり切なさをくみ取れば分かるはずだ」

 

確かに。違う自分に変わろうとしていた、というある時点における過去形の表現だから、要するに過去への振り返りだとしたら、変化していく女の子の成長や青春を描いたものとは180度も様相が違ってくるね。さすがおらちゃん、今日はなんだか鋭いね。

 

おらちゃん「過去との決別。それが第一の発見だとすると、さらに言えばあと二つ大事なメッセージが隠れてるんだけど分かるかな?」

 

うーん、分からん(゜-゜)

 

おらちゃん「へへへん。じゃあ説明するね。第二のメッセージは、また歌詞から引用して考えると、まさに、いま、すぐ踏み出せるようなことでも、ここにあるのは紛れもなく現実であって現在(いま)なんだってこと。われわれ現代人は、時間など何かに常に追われている生き急いだ人生を送っていることが多いけど、そうした拙速への警鐘でもあると思うんだ。」

 

なるほどねえ。歌詞に密かな決心はどこへ捨てた?、ともあるけど過去の自分との決別なんてものは全部ウソだし、なぜ、いまなんだ?ってことも密かなポイントになってるような気がするね。歌詞の流れでは「今できる」あるいは「今できよう」とはうたっているけども、そんなことを今更考えているようでは遅い面もあるよね。

例えば、できている人、富める人からみれば、特定のタイミングでできると思う必要性も必然性もあまり感じられない。常にできているから、できている日常が普遍化してるわけでその行為なり規範を意志する価値がないとさえ言明可能だ。

だとすると、要するにこの曲調にこの歌詞、そして青春的なエネルギーを感じる映像からすれば、やはり失敗した人や落伍した人へのメッセージともとれるし、そういうものへのアンチテーゼ的な自負でもあるとも取れるね。

 

おらちゃん「ジルさんも少しは目が覚めてきたようだね。簡単に言えば、きっかけというものは厳密性を持っているというのがおらの持論だから、きっかけは決心の理屈であり理論なんだ。シンクロシニティという言葉はジルさんの好きな言葉だけど共時的な偶然性って意味だっけ?」

 

意味のある偶然性ってことだね。この世界はデイビット・ヒュームが到達したように、因果関係には論理的必然性がないというのが形式上の真理だけれども、仮にここでは現象による現象の為の、カオスな偶然性が存在するとすれば、それは価値創造的であるから、表現する意志の介在が認められ、検証不可能であろうがなかろうが、必然的な結果は固定的だとすると、結果にのみならず、その因果関係、つまりは決心のきっかけも理屈であると言えるんだ。

 

おらちゃん「おらそんなところは難しくてわかんね。でも秋元康先生が書いたきっかけってのは大ウソである面もあるんだなって今にしてみれば思い浮かぶんだけど、感情的な話は信頼性が一番だから難しいんだ。」

 

おらちゃん「それでね、ジルさん。第三のテーマなんだけど、あれ?おーい、ジルさーん、ジルさーん」

 

ジルさんはもうここにはいなかった。

 

たぶん何らかの決心をしたんだろう。それこそ今度こそは理屈じゃなくて…。

 

昼下がりの団地妻のコスプレをしてみたい犬のおらちゃんを探しながら

 

おらちゃん「わんわんわんわんわん、わんわんわんわん…」

ジルさん「わんわんわんわんわん…」

 

二人は二重詠唱した。要するにじゃれているだけろうが。

おらはペット。おらちゃんはペット。今でもジルさんはそうつぶやいている…

 

 

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画像はツインテール星野みなみと物憂げな秋元真夏

 

参考 カール・グスタフユングによるシンクロシニティ概念より